ならくはどう生きるか

ならくの日々の日常と趣味と生き方について思いついたことを書きます。

家族も他人

実の子供たちと一緒に過ごしているが、これでいいのかと不安になる。

 

育て方もそうだが、日々の接し方も答えはない。

 

元妻に言われた「子供は子供で自由に育つ」的な言葉が思い出される。

多分気にかけすぎるのも良くないんだろうな。

 

思い通りに行かないことのほうが多いけど、子供たちは勝手に育っていくんだろう。

 

 

無責任な話だが、親権は元妻なのでまぁ良いかなって気持ちもある。無いとは言えないよね。

もし自分に親権があったとしても、子供は子供。自分の人生では無いと考えてします。

 

しかも自分が死んだあとに本当に子供たちの人生が続いているのか、幸せでいるのかを確かめるすべもない。

 

考えれば考えるほど、人間の自我というものは問題を増やしているだけではないかと思う。

なぜこんなに生きることが辛いのか。生きることに辛さを感じてしまうのか。死ぬことを恐怖に思うのか。面倒なことで一杯。

 

 

浄土真宗の教えに触れると、このあたりは業縁というものらしい。辛いのも幸せも、すべての行い(思考)は前世からの業のようです。

これを都合よく解釈すると、「じゃあしょうがないので今思い悩む必要は無い」ってことかなと思っている。

これを自分で思考して納得しようとしている時点で結局人生大変だなということなんだが、少しでも気が楽になればすがればいいかな。

 

 

そんなふうに考えている人が他にもいたらいいな。分かち合えたらいいな。