嫌悪感を持つ人が多数だったら、その嫌悪感をぶつけていいのでしょうか?
おとといからの近親婚への気持ち悪いは差別ではないかという話。
いろいろぐるぐる考えているんですが、自分の中で納得できていない部分が文章化出来そうだったので忘れないうちに書いておきます。
私が言いたいのは「差別はある」という事と「嫌悪感を持つ人の多い少ないでそれを表現する事の良し悪しが変わっていいんですか?」という事です。
近親婚と同性婚。近親婚の方が嫌悪感を持つ人が多いとします。
そして、Aさんは近親婚にも同性婚にも嫌悪感を持っていて、実際にどちらも気持ち悪いと発言しているとします。
それに対し世の中の人は「同性婚に気持ち悪いと言うとはけしからん!」という感情を持つと思うんですよ。なぜなら同性婚を嫌悪する人の方が少なく、(世間でいう)差別に当たると思われるから。
しかし近親婚に関しては「近親婚に気持ち悪いって言うのは仕方ないよね」という感情を持つと思うんです。多分嫌悪する人が多いから。
私はここに違和感を感じるんです。
近親婚と同性婚の嫌悪のステージは違うのかもしれません。
でも構造として「気持ち悪いという感情を持った」という部分に違いは無いと思うんです。
多数の人が気持ち悪いと思うものには「気持ち悪い」と言ってもいいというのは、まさに今までの差別問題の歴史ではないんでしょうか?
なので、私は近親婚と同性婚のどちらに対しても「気持ち悪い」と発言するのは「差別」であると思うのです。
そして、「差別はある」と素直に受け入れる方が良いのではないのかなぁと思います。
で、ここにその感情を表現するかどうかの問題があるんです。
私は差別主義で、どうしてもいろんなことを差別してしまいます。ただそれを「表現」する事には注意を払うべきだと思っています。
近親婚も同性婚も「気持ち悪い」と言われて傷ついたりショックを受ける人はいると思うんです。
それをぶつけることが自分にとって不利益になるのかどうかは精査して生きなければいけないと思います。
差別はあるし、差別してもいいと思っています。しかしそれを表現したり行動に移す事には注意を払い、その結果を受け入れる事が生きやすさにつながるんじゃないかと思います。
はっきり言って、ここまで考える必要はありません。自分はこんなことを考えてしまうんですって報告でしかありません。
多分考えなくても幸せに生きていける人が多数でしょう。
しかし、もしこの文章を読んで共感してくださる人がいたらそれだけで嬉しいです。
共感してくれない人も、出来たら「恥知らずか?」って言わないでください。
思うのは自由です。ただ思っていてください。
それでは。