梅原猛の『歎異抄』入門 読了
後世になり変質していった親鸞の教えに異義、異端を嘆いたもの。
これを読んで素直に、人間として生きることに意味は無いなぁって思った。
結局普通に生きていて、阿弥陀仏を信じ、念仏を唱えれば極楽浄土に往生できるというお手軽な教え。
世の中には「普通に生きていない人」もいますが、いわゆる一般市民はこの教えに触れて、念仏唱えればOK。
信じなかった者に対する言及は少ないが、仮の浄土に行ったり、生死の流れを繰り返すっぽい。
とにかく酷い地獄に行くぞ!って教えはなさそう(親鸞の考えの中にはあるかもしれないが、歎異抄からは読み取れなかった)。
結局親鸞は子沢山で、自らを煩悩を持っている凡夫だと言っているので、一般市民も気軽に信じられたと思う。
結局宗教って、信じたら本当に極楽浄土に往生できるかは関係ないと思っている。
生きている今楽になれるかが重要だと思うので、こんなに気軽に「幸せになれるぞー!」って言われたらそれで満足だよね。
それに満足できない人は、もっと自分を律する宗教に行けばいいんだろうね。
自分を律するのは「辛い事」とも考えられるが、その辛さがある事で「幸せになれる」という説得力があると思うので、向いている人は戒律が厳しい宗教を信じればいいんだろう。
歎異抄の中に書いてあった話で、一番興味深かったのが、阿弥陀仏の力を信じ、念仏を唱えると極楽に往生できる。そして仏になれるというところ。
仏になれると、自らの祖先を助けることが出来るらしい。
宗教を知らずに死んでいった祖先たちに対するフォローが可能だという事を知った。
これって、キリスト教が日本で布教できなかった説明をする時にたまに出てくる説話「キリスト教を信じれば救われるのなら、キリスト教を知らずに死んだ祖先はどうなるのですか?」に対して宣教師は答えられなかったって話に対応できているので、素晴らしい。
私は浄土真宗の教えが好きになりました。
生きていることに何となく不安や不満を感じている方は、一度読んでみるといいかもしれないですね。