ならくはどう生きるか

ならくの日々の日常と趣味と生き方について思いついたことを書きます。

死ぬことに対する気持ち

 私はたまに、眠れなくなるほど「死ぬことの恐怖」を感じることがあります。

 

 自分なりにその恐怖を分析して、結果「私は「自分で認識できない事」が怖い」と結論付けていて、死んだ後に「あ、死んだな」ってのを知る事ができないのが怖いと感じていると思っていました。

 

 ですが、最近その恐怖を強く感じる事が少なくなりました(なくなったわけではないです)。

 いつから少なくなってきたかなと振り返ってみると、まず「子供が生まれたこと」。次に「投資を始めた事」。そして「読書を始めた事」の三つがきっかけではないかと思います。

 

 なんでそれをきっかけと思ったかというと、子供と投資に関しては「時間が経たないと結果が出ない」という事が理由じゃないかと思います。

 本来時間が経てば経つほど死に近づきます。過去に「死への恐怖」を感じていた時は時が止まってほしい、戻ってほしいと願っていました。

 でも子供の成長を見るために、投資の恩恵に与るためには時間が経過しないといけません。「死への恐怖」よりも「子供の成長」と「投資の結果」を知りたいという気持ちが勝っているのではないかというのが考えた結果です。

 

 また「読書を始めた事」がきっかけの一つではないかと思った理由は、読書をすることで「自分の人生は幸せなほうがいい」という漠然な思いが「幸せになりたい」という気持ちに変わったからだと思います。

 今年の夏あたりから本格的に読書を始めたのですが、読む本の多くが「自己啓発」的な内容でした。「自己啓発」というのちょっと意味が広い気がしますが、「幸せとは何か?」とか「物事を考えるとは何か?」といった事にヒントを与えてくれるような本を多く読みました。

 そこで「自分の人生がいかに努力してこなかったか」、「自分がいかに無知だったか」、「自分がいかに高望みだったか」、こういった事を思い知らされました。

 

 今まで自分は「自分の人生は幸せだ」と思っていませんでした。でもそれを「なぜ?」と思うことなく漠然と「幸せな人生にあこがれるだけ」の人間になっていました。。

 当然何もせずに幸せになれるわけもなく、ただただ人生の時を無駄にしていました。つまりただ無駄に死へと進んでいました。今になって思うと、この何もせず死へ近づいていることが「死への恐怖」だったと思います。

 

 それが読書をすることで「努力の仕方」「物事の考え方」「自分の身の丈に合った幸せが存在する事」を知りました。その結果人生の時を無駄にしているという感覚が少なくなったように思います。

 

 今読んでいる『めんどくさいことの9割は捨てていい』や、過去に読んだ『めんどくさいが無くなる本』で知っためんどくさいと付き合う方法は正しい努力を教えてくれたような気がします。

 

 一気に著作を7冊ほど読み漁った社会派ブロガーちきりんさんには、思考停止してはいけない。答えを出さなくても「考えることが大事」という事を教えてもらいました。

 

 大原扁理さんの『年収90万円で東京ハッピーライフ』では「自分の身の丈に合った幸せ」を考えるきっかけをもらいました。

 

 こういった本に出合ったことで、自分の人生を「ただのネガティブ人生」ではなく「伸びしろがある人生」と思えるようになりました。考えなくても必ず訪れる「死」について考える暇があるなら、いくらでも自分の力で変えることができる「未来」「幸せ」「生き方」を考えていこうと思いました。

 

 

 そんなこんなで38歳にして、やっと自分で自分の人生を見つめられるようになった気がします。

 このブログはその中で重要な一つのツールとなります。自分の考えのアウトプットの場所、アウトプットの練習場、そして後で振り返った時に自分の生きた証となるように、これからも続けていきたいと思います。

 

 

 

 最後に、自分が「死ぬ恐怖」を感じていたころの思考傾向が「私はあの人より劣るなぁ」といった他人との比較でした。この感覚も「物事の考え方」や「身の丈に合った幸せ」を考えていくうちに強烈な比較思考は少なくなってきました。実はこの思考が私の行動原理の根本だったと思います。本当に根強く、今でもすぐに他人との比較をしてしまいます。

 明日は「人と比べる事からの脱皮」について、今の私が思うことを書いていきたいと思います。